予備試験とか

30歳までに弁護士になって岐阜帰還することを目指しています。地方自治、法と言語に興味があります。

Ⅰ-7

(1)(a)

Xは、Zが過失によりO-157の付着した生のサラダを提供した行為により、Gが生命を侵害され、死亡までの医療費、生きていたら得られた逸失利益及び死亡する苦痛の損害が生じたことと損害額を主張立証して、Gから相続した損害賠償請求権を行使する。また、Xは自らの損害として、看護等に要した交通費や葬式費用及び子Gの死亡による苦痛の損害が生じたことと損害額を主張立証して、損害賠償を請求する(幾代(徳本補訂)1993『不法行為法』p.247, 『事例から民法を考える』「18」p.310)。

ここで、Zに過失があったかが問題となる。過失とは予見可能性を前提とした結果回避義務違反をいうところ、1996年7月12日より以前の5月末から他府県でO-157による集団食中毒が何度か発生していたこと、当時の新聞報道によれば食肉類からの感染が多いが実際にどのような食物にひそんでいるかよく分からないとされていたことから、生のサラダの提供によるGの死亡について予見可能性があったことは認められる。

過失とは行為時の基準に照らして合理的な行動をとる義務に違反することである。裁判所が結果回避義務違反を認定する*1に当たっては、標準的な行為は多くの場合に合理的な行動と一致するものと推認され、但し規範的に不適切な慣行*2はこの限りでない(米村『医事法講義』p.112,113)ものと考えるべきである。この点を検討すると、Zがする食材の保管、搬送ならびに調理はいずれも必要な衛生基準を満たしている。また、O-157に関する報道をうけて調理師A,B,Cに加熱方法ならびに手洗い・消毒方法等を周知徹底しており、A,B,Cがこれを怠ったという事情もない。そこで、加熱調理せず生のサラダを給食用に提供したことじたいがO-157に関する報道がされていた当時において規範的に不適切な慣行であって、過失があると主張することが考えられる。給食を喫食する児童が、抵抗力の弱いことからすれば、給食には極めて高度な安全性が求められる。なお、給食を喫食するか否かの自由がある点で、大阪地判堺支H11.9.10判タ1025号85頁と事案が異なるが、自ら喫食する大人がリスクを合理的に判断して選択する場合とは同視できないから、極めて高度な安全性が求められることを否定する理由にはならない。極めて高度な安全性が求められることもあわせて考えると、少なくとも1996年7月12日当時、夏季には生のサラダを提供すべきでなかった。Zは献立表を作る際Yの希望を聞いているが、この際に生のサラダを希望されていたとしても、単なる希望に過ぎず、Zは献立を決める権限を有し、生のサラダを提供することを自ら決めたということができる。

よって、Zには過失があり、Xの請求は認められる。

 

(b)

製造物責任法3条に基づき損害賠償請求をすることができるか。

「製造物」とは製造又は加工された動産をいうところ、生のサラダが「加工」された動産に当たるかが問題となる。「加工」とは、物品に手を加えてその本質を維持しつつこれに新しい属性または価値を付加することをいい、野菜を洗浄してカットし、サラダにすることは「加工」に含まれると解される。

O-157が付着した「製造物」生のサラダは通常有すべき安全性を欠き「欠陥」があり、Gの生命が侵害されており、欠陥と生命侵害には因果関係があり、(1)(a)第一段落の損害が生じている。

よって、製造物責任法3条に基づき損害賠償請求をすることができる。

 

(2)(a)

一般的に、契約上の給付義務を履行するにあたっては、債権者の生命・身体・財産等を侵害しないように注意して行動する義務(保護義務)を負う。Yが給食業務を委託することについて了解した保護者会にXは含まれないから、民法105条の類推適用を肯定する見解に立っても、民法105条(民法改正で削られる)の類推適用により保護義務が業者Zの選任及び監督に限定されることはない。自ら他人による債務の履行を選んだXは、保護義務違反の債務不履行の責任を負う。

 

コメント O-157の事件の判決文はネットでみれました。学校給食ニュース: O-157による死亡、堺市に賠償命令

過失の推定がいまいち分かりません。

安全配慮義務を論じるときに、知識や権限などの総合考慮はどういう位置づけなのでしょうか?安全配慮義務の根拠となる契約や信義則とはどういう関係なのでしょうか?

*1:言い換えれば、裁判所が行為水準を設定する

*2:言い換えれば、裁判官の能力で判断できる抑止すべき行動