予備試験とか

30歳までに弁護士になって岐阜帰還することを目指しています。地方自治、法と言語に興味があります。

5.過失犯、因果関係

Bの行為

Vが死亡する結果が生じており、Bに過失が認められるならば、それが自動車運転上のものであることは明らかである。そこで、Bに「必要な注意を怠」ったこと、すなわち過失が認められ、死亡との因果関係も認められて、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律5条本文の罪のうち、特に人を死亡させたことを理由に有罪となるかが問題となる。

過失とは、予見可能性を前提として、危険を認識していなかった場合には危険を予見すべき義務(情報収集義務、刑法の期待する一定の慎重さ*1 )に違反して、結果回避義務に違反したことをいう。

Vが死亡する結果を回避するために採りうる措置には、1過積載のため制動距離が長くなっていることにも留意して、通常以上に前方を注視して適切な速度で進行すること、2眠気を感じた時点で非常駐車帯(道路交通法75条の8第1項2号)で運転を中止すること、3過積載での運転をやめること、4運転じたいをしないことが考えられる。

4については、誰でも自動車を運転すれば当然に人を死亡させる危険が生じ、それを予見できるといえそうだが、過度な結果回避義務を課すことは、社会的有用行為の制限となり妥当ではない。過失の前提となる予見すべき危険とは、単なる不安感ではなく具体的な状況における危険であり、運転行為じたいは過失に当たらない。

3については、10トントラックに15トンの荷物を積んだという本件事情の下で制動距離が長くなることをBは認識しているし、どの程度制動距離が長くなるかも予見すべき義務があるが、本件事情の下での運転行為から直ちに具体的な状況における人の死の結果を予見できたとは認められない。

2については、3時間程度の睡眠しかとっていない日が一週間続き、実際に眠気を感じたこと、過積載という人を死亡させる危険が高い状態であったことも考えると、非常駐車帯で停車し運転を中止すべき義務があったと認められる。

1については、一般人を基準とすると前方注視義務違反が認められるから、あとは期待可能性その他の責任が認められるか否かの問題のようにも思える。しかし、予見義務が課される根拠は、行為者に法益尊重意識が欠落していたことを理由に予見可能性を否定することが不当なためであり(能力区別説)、生理的な能力*2については、一般人ではなく行為者であるBを基準にせざるをえない。眠気を感じているBにとって、前方注視は履行不能だから、予見可能性がなく1の義務を負わない。

Bの過失とVの死亡に因果関係は認められるか。結果が行為に帰責されるのは、単に条件関係が認められるだけでは足りない。本件では、結果発生に至る経過に、Vがトランクに居たという特殊な事情が介在しているから、それでも因果関係が認められるかが問題となる。行為者にも被害者にも支配できない特殊な事情による結果を被害者に帰属させることは公平に反するから、因果関係が認められるとする見解(佐伯仁志)は、損害負担の公平を図る民事法的な発想であり、不当である(井田、小林憲太郎)。Vがトランクに居たことは、Bにとっても一般人にとっても予見可能性を欠くから、因果関係が認められない。仮に、行為の危険に対する影響力が大きければ、介在事情による影響力の遮断がない限り、行為の危険が現実化したものとして因果関係が認められるとする見解によっても、Vが前の車両のトランクに居たことは、無関係な者の監禁行為によるもので、Bが支配する危険でも運転行為に通常随伴する危険でもないから、因果関係が認められない。

よって、自動車運転処罰法5条本文の罪が成立するが、Vを死亡させたことを理由に有罪とはならない。

 

 

コメント

行為無価値論、新過失論で書きました。

過失は、因果関係の流れが近い方から1から4へ順番に検討する方が実体法からみて素直なのでしょうが、結局は訴因の構成次第ですし、答案の練習のために無理筋な4から順番に検討しました。

因果関係のところは、木谷『刑事事実認定』の米山正明「因果関係の認定」を参考にしました。

*1:小林憲太郎2020「刑法判例と実務58 過失犯無罪判例の構造」判例時報2452p.108

*2:『挑戦する交通事件弁護』p.158本庄武発言