予備試験とか

岐阜帰還を目指しています。オンラインで演習書を一緒に解いていただける奇特な自習者がいれば募集中です。

R1司法試験 憲法

法6条及び25条

法6条は「公共の利害に関する」という不確定概念を用い、25条により犯罪の構成要件の一部となっているところ、その意味が漠然としていて、犯罪となるべき行為が明確に告知されることを要求する憲法31条に違反するのではないか、表現活動に萎縮効果が生じ憲法21条1項に違反するのではないかが問題となる。しかし、刑法230条の2第1項にも同じ文言が用いられており、これと同じ意味と解されるから、漠然としているとは認められない。

法6条及び25条は、政治的言論をも規制するところ、政治的言論は自己実現の価値のみならず、自己統治の価値を有し、やむにやまれぬ公共の利益のためでなければ規制されない。しかし、法1条は「社会的混乱が生じることを防止」というだけである。「社会的混乱」のなかにはやむにやまれぬ公共の利益と認められるものも含まれるとしても、そうでないものもあり、規制の範囲が必要最小限に絞られていないから、憲法21条1項に違反する疑いがある。しかし、真実の摘示が国民の知る権利・利益に奉仕し優越的利益が認められるのに対し、虚偽表現は、人の判断を誤らせる有害な表現*1であって、憲法21条1項の保障の範囲外にあると解すべきだから、憲法21条1項に違反しない。もっとも、思想の自由市場こそが真理に到達する最良の手段とする見解もある。

法25条は、故意犯を処罰する規定と解されるが、それでも、「虚偽」であることについて未必的認識を有していたに過ぎない行為者も処罰範囲に含まれるため、刑事罰が重大な不利益をもたらすこともあいまって、虚偽でない表現活動に萎縮効果が生じ、憲法21条1項に違反するのではないかが問題となる。しかし、法があえて「知りながら」という文言を用いたのは、単に特別刑法上の犯罪について故意犯処罰を明文で定めるためではなく、「虚偽」であることについて未必的認識では足りず、確定的認識を要求するもの*2と解される。また、そのように解さなければ、憲法21条1項に適合する余地がない。

 

法9条並びに26条及び27条によるSNS事業者の規制

SNS事業者が自らの一貫した方針に基づいて、タイムラインをデザインし表示させたり、ユーザの表現を規制するかしないか判断することは、憲法21条1項により表現の自由として保障されている(Google検索結果削除仮処分事件最決参照)。

法9条1項2号の「選挙の公正が著しく害されることが明白である」という不確定概念が漠然としていて憲法31条及び憲法21条1項に違反しないかが問題となる。命令に違反してはじめて行為者は処罰の対象となるから、処罰範囲は明確であって憲法31条に違反しないという反論が考えられるが、憲法21条1項により明確性の要請がより強いことから、それだけでは足りない。「著しく」という用語は規制の必要性が高い表現に規制の範囲を絞るだけで、明確性を高めるとはいえない。「明白」という限定によっても、なにが「公正」を害するかは価値判断を要し、法令上なんら例示がないから、通常人の判断では具体的場合に自らの行為が義務付けられているか否かが読み取れない。よって、罰則を定める法26条及び27条の部分は漠然性を理由に憲法31条及び憲法21条1項に違反する。

法9条は選挙の公正を目的とし、2項は削除命令の政治的中立性を確保し、真に選挙の公正を促進するために、独立行政委員会を処分庁としている。たしかに、選挙の公正は重要な目的であると認められるが、9条1項が表現の手段ではなく内容に着目した規制をしているため、規制にはやむにやまれぬ公共の利益が必要ではないか、憲法21条1項に違反しないかが問題となる。しかし、虚偽表現は憲法21条1項の保障の範囲外と解すべきである。

思想の自由市場こそ真理に到達する最良の手段であって、虚偽表現も表現の自由として保障されるとしても、選挙運動は法定のルールを守ることで公正に行われ、そのための合理的なルールが設けられることが予定されている(伊藤正己)から、表現の自由一般とは区別されるべきである。この法律は、処分の要件に「著しく」「明白」という限定があり、罰則があるものの法26条及び27条は間接罰方式を採り、より制限的でない手段が採られているといえる。選挙の公正を達成するために必要かつ合理的な手段であると認められるから、この学説によるならば、憲法21条1項に違反しない。

もっとも、SNS事業者のような表現の媒介者は知る権利・利益に奉仕していることから、SNS事業者に対する規制が自主検閲を促進するおそれも踏まえて、ユーザの知る権利に配慮して、より制限的な手段がとられているといえるかを検討すべきという反論が考えられる。この見解によれば、自主検閲の促進を防ぐ措置がなんら定められていないどころか、法13条によりむしろ自主検閲が促進されていることから、憲法21条1項に違反する疑いがある。

 

法20条

9条2項の命令の前に、被処分者となるSNS事業者に告知・弁明・防御の機会が与えられていないことが、憲法31条の法意に反しないかが問題となる。行政手続は行政目的に応じて多種多様であり、常に必ず弁明等の機会を与えることを必要としない(成田新法事件最判参照)と解される。選挙運動の期間及び選挙当日を過ぎると、選挙の公正という目的を達成できず、また要件を具備しないため処分じたいができない点で緊急性がある。また、独立行政委員会を処分庁とすることで、一定程度は手続の公正が図られている。よって、制限を受ける権利が表現の自由であることを踏まえて総合衡量しても、憲法31条の法意に反しない。

 

 

感想

よく分からない。時間内にかける人すごい。公職選挙法235条2項の「事実をゆがめて」と「選挙の公正を著しく害することが明白」とで明確性はあまり変わらないような気がしないでもない。false speechについてはUnited States v. Alvarez, 567 U.S. 709 (2012)があり、伊藤たける先生の話をあわせて聴いて、萎縮効果を広く認めるだけでなく、言論市場の歪曲効果を重視すれば違憲の結論を導きやすいという気づきがあった。成原(2012)「代理人を介した表現規制とその変容」を読んで、知る権利のところの記述を直した。

*1:山口厚『刑法各論 第2版』p.146同旨

*2:著作権法119条3項にいう「知りながら」について、小倉秀夫ほか2013『著作権法コンメンタール』1695頁同旨

5.過失犯、因果関係

Bの行為

Vが死亡する結果が生じており、Bに過失が認められるならば、それが自動車運転上のものであることは明らかである。そこで、Bに「必要な注意を怠」ったこと、すなわち過失が認められ、死亡との因果関係も認められて、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律5条本文の罪のうち、特に人を死亡させたことを理由に有罪となるかが問題となる。

過失とは、予見可能性を前提として、危険を認識していなかった場合には危険を予見すべき義務に違反して、結果回避義務に違反したことをいう。

Vが死亡する結果を回避するために採りうる措置には、1過積載のため制動距離が長くなっていることにも留意して、通常以上に前方を注視して適切な速度で進行すること、2眠気を感じた時点で非常駐車帯(道路交通法75条の8第1項2号)で運転を中止すること、3過積載での運転をやめること、4運転じたいをしないことが考えられる。

4については、誰でも自動車を運転すれば当然に人を死亡させる危険が生じ、それを予見できるといえそうだが、過度な結果回避義務を課すことは、社会的有用行為の制限となり妥当ではない。過失の前提となる予見すべき危険とは、単なる不安感ではなく具体的な状況における危険であり、運転行為じたいは過失に当たらない。

3については、10トントラックに15トンの荷物を積んだという本件事情の下で制動距離が長くなることをBは認識しているし、どの程度制動距離が長くなるかも予見すべき義務があるが、本件事情の下での運転行為から直ちに具体的な状況における人の死の結果を予見できたとは認められない。

2については、3時間程度の睡眠しかとっていない日が一週間続き、実際に眠気を感じたこと、過積載という人を死亡させる危険が高い状態であったことも考えると、非常駐車帯で停車し運転を中止すべき義務があったと認められる。

1については、一般人を基準とすると前方注視義務違反が認められるから、あとは期待可能性その他の責任が認められるか否かの問題のようにも思える。しかし、予見義務が課される根拠は、行為者に法益尊重意識が欠落していたことを理由に予見可能性を否定することが不当なためであり(能力区別説)、生理的な能力*1については、一般人ではなく行為者であるBを基準にせざるをえない。眠気を感じているBにとって、前方注視は履行不能だから、予見可能性がなく1の義務を負わない。

Bの過失とVの死亡に因果関係は認められるか。結果が行為に帰責されるのは、単に条件関係が認められるだけでは足りない。本件では、結果発生に至る経過に、Vがトランクに居たという特殊な事情が介在しているから、それでも因果関係が認められるかが問題となる。行為者にも被害者にも支配できない特殊な事情による結果を被害者に帰属させることは公平に反するから、因果関係が認められるとする見解(佐伯仁志)は、損害負担の公平を図る民事法的な発想であり、不当である(井田、小林憲太郎)。Vがトランクに居たことは、Bにとっても一般人にとっても予見可能性を欠くから、因果関係が認められない。仮に、行為の危険に対する影響力が大きければ、介在事情による影響力の遮断がない限り、行為の危険が現実化したものとして因果関係が認められるとする見解によっても、Vが前の車両のトランクに居たことは、無関係な者の監禁行為によるもので、Bが支配する危険でも運転行為に通常随伴する危険でもないから、因果関係が認められない。

よって、自動車運転処罰法5条本文の罪で有罪となっても、Vを死亡させたことを理由に有罪とはならない。

 

 

コメント

行為無価値論、新過失論で書きました。

過失は、1から4へ順番に検討すべきなのでしょうが、答案の練習のために無理筋な4から順番に検討しました。

因果関係のところは、木谷『刑事事実認定』の米山正明「因果関係の認定」を参考にしました。

*1:『挑戦する交通事件弁護』p.158本庄武発言

13.治療行為と傷害罪、文書偽造罪と名義人の承諾

傷害罪

 

文書偽造罪(刑法159条1項)

診断書は「事実の証明に関する文書」に当たるか。広く社会生活に交渉を有する文書をいうとする説と、文書偽造罪の保護法益はあくまで文書に対する公共の信用だから、社会生活における重要な事実について証拠となる文書に限るとする説とがある。診断書にされる事実の記載は保険金の請求に用いられるなど社会生活における重要な事実について証拠となる文書と認められるから、いずれの説によっても「事実証明に関する文書」に当たる。

「偽造」とは、名義人と作成者の人格の同一性を偽ることをいい、その前提として、文書は、名義人が判別できるものでなければならない。本件診断書の記載内容からは、医師Bが作成者であるように看取できるから、医師Bが名義人であり、名義人が判別可能であることの要件を満たす。

本件診断書を作成した行為は「偽造」に当たるか。誰が作成者かが問題となる。作成者の意義について、法的効果が帰属する者をいうとする説は、民事上の問題と有形偽造の処罰という刑法上のの問題とを混同するものであり、また、事実証明について法的帰属は問題となりえないから採用できない*1。作成者とは、文書に表示された意思観念が精神的に由来する者をいう(観念説、事実的意思説)*2。BはAによる診断書の作成を承諾しているから、Bの意思の範囲内であってBが作成者であり、作成者と名義人とが同一だから、「偽造」に当たらない*3

これに対して、文書の性質により名義人以外の者が作成することが許されない文書については、名義人の承諾は無意味であって作成者は自書した者であり、偽造に当たる場合があるとするのが判例である。文書の性質の意味が曖昧*4で、処罰範囲の明確性の観点から判例には問題がある。仮に判例の結論が妥当だとして検討しても、Aは2年間にわたりBの名前で診療に従事し、Bは医者としてのAの通称名として通用していたから、人格の同一性に偽りはなく「偽造」に当たらない。

なお、「行使の目的」とは事情を知らない利害関係者に文書の記載内容を認識させる目的をいい、行使の目的によって、文書が公共の信用を危殆化させるという違法性の実質を備えると解すべきである*5。通常の診断書作成であれば、患者に診断内容を伝えることが第一の目的であり「行使の目的」が認められない*6。しかし、本件では保険金詐欺を目的として診断書を作成したという事情があり、保険会社に診断書の記載内容を認識させる目的が認められ、「行使の目的」に当たる。よって、「偽造」の要件を満たせば文書偽造罪が成立した。

本件は「偽造」の要件を満たさないから、Aに文書偽造罪は成立しない。*7

 

詐欺罪

 

*1:山下幸夫「一事不再理私文書偽造」『ロースクール生のための刑事法総合演習』

*2:成瀬幸典「文書偽造の罪」『新・コンメンタール刑法』

*3:山下幸夫前掲

*4:松宮

*5:行使の相手方を利害関係者に限定する見解として井田など

*6:解説によれば、診断書が勤務先への提出に多く用いられているという社会的機能を知っていたことから「行使の目的」が認められてしまう

*7:処罰根拠を文書の記載内容が真実でも証拠又は証明手段として利用できなくなる危険とみる見解(証拠犯罪説)によって論証した場合に、どういう結論になるのかがよく分からなかった。属性を重視するとしても、属性は名義人を特定する参考に過ぎないし、資格に対する信用に重きを置くと医師法18条の名称使用の罪とは特別関係になりそう。

3.抽象的事実の錯誤、共謀共同正犯

Bの罪責(4,6)

Bは10月10日夜、殺意をもって、Xを狙い拳銃の引き金を引いたが、Xを死亡させなかった(4)。そこで、殺人未遂罪が成立するかが問題となる。

違法性の本質は結果無価値にあるから、殺人の実行の着手があったといえるかは、行為時に存在したすべての事実を基礎に行為の危険性を評価して判断される。

たとえば仮に、銃口はXを向いていたが、弾丸は常に同一の軌道を通るわけではない性質があるために命中しなかった場合であれば、殺人の実行の着手に当たる*1が、弾丸の火薬が不良だった本件行為ははじめから人を死亡させる危険性がなく、殺人の実行の着手に当たらないようにも思える。しかし、行為時に存在したすべての事実を基礎とした判断をより徹底すれば、未遂犯はすべて不能犯になってしまう。一般人の立場から判断して存在し得た仮定的事実を付け加えたうえで行為の危険性を評価すべきであり、火薬不良ではなかったためにXが死亡したということもあり得たのだから、結局、本件行為には人を死亡させる危険性があり、殺人の実行の着手に当たる。

よって、殺人未遂罪が成立する。

Bは10月15日夜、Xに殺意をもって、飼い犬と散歩中のXを狙い拳銃を2発発射し、Xと飼い犬を死亡させた(6)。2発の発射行為は1個の意思に基づく一連一体の行為であり、1つの行為といえる。

この行為により、Xに対する殺人罪のほかに、飼い犬を死亡させた結果について器物損壊罪が成立するか。器物損壊罪の故意が認められるかが問題となる。

故意犯が責任を負うのは規範の問題に直面したにもかかわらず敢えて行為したからであり、行為者の認識した犯罪事実と発生した犯罪事実が具体的に符合していなくても、構成要件において符合している限り規範の問題に直面したといえるから、故意を阻却しない。

殺人罪と器物損壊罪という別の犯罪であり、しかも構成要件は重ならないし、仮に実質的な構成要件の重なり合いを問題にしても、人の生命と財産では保護法益が異質であり、殺人の故意により器物損壊罪の故意を認めることはできない。

しかし、Xを狙っても、弾丸が飼い犬に当たることは当然に予測できるから、Bがよほど射撃に自信がある場合を除き、器物損壊罪の未必的な故意が認められ、器物損壊罪が成立する。

A及びCの罪責(4)

Cは、Bと本件拳銃発射の計画について意思の連絡があり、拳銃の購入を分担し、10日の夜もともに犯行現場に赴いた。よって、殺人未遂罪の共同正犯が成立する。

Aは、B及びCにXを殺すように言うことで、殺人の意思の連絡をした。また、AはB及びCの上司としてまた本件計画の発案者として、実行行為に決定的な心理的因果性を及ぼし、加えて、拳銃と弾丸の資金を準備することで、正犯としての処罰に値する*2重要な役割を果たした。Aは確かに実行行為を担当したわけではないが、発案者として、本件拳銃発射を自分たちの犯罪として実現しようとする意思を有していた*3。よって、殺人未遂罪の共謀共同正犯が成立する。

A及びCの罪責(6)

Bが10月15日、殺人罪の実行行為をする以前の13日に、Aが「今回はやめておこう」といい、Cもこれを受けて「そうであれば、私は降ります」といい15日には同行等もしていない。そこで、殺人罪の共同正犯として罪責を負うかが問題となる。

結果との因果関係が切断されたときには、責任を負わない。拳銃と弾丸はAの提供した資金により購入されたが、Aは拳銃を処分しろと指示するだけで、それ以上の措置はなく、Aの10月13日以前の行為による物理的効果が残存している。よって、共同正犯としての責任を負う。

Cがいたからこそ拳銃と弾丸が購入できたなどの事情があれば、物理的効果が残存しているから、Cも共同正犯としての責任を負う。

仮に、B自身でも容易に拳銃と弾丸を購入できた場合はどうか。CはBと具体的な拳銃発射の計画を立てて準備をすすめ、Bの犯行に及ぶ意思を強めたといえる。また、Bに対して説得をするなど結果防止のための措置をとっていない。拳銃と弾丸の購入という重大な物理的効果に加えて心理的効果も考慮すれば*4、Xが死亡した結果との因果関係は切断されていない。よって、共同正犯としての責任を負う。

D及びBの罪責(7)

他人の刑事事件に関する証拠である拳銃と余った弾薬を、海に投棄して隠滅したから、Dには証拠隠滅罪が成立する。(刑法104条)

Bには証拠隠滅罪の教唆犯が成立するか。刑法104条が犯人自身による証拠隠滅を処罰範囲から除いたのは、期待可能性がないからであり、教唆犯にもこの趣旨は及ぶから処罰されないと解すべきである。これに対して、他人を巻き込んで証拠を隠滅するのは防御の濫用であって、教唆犯が成立するとの解釈もある。しかし、犯人自身による行為であっても証拠隠滅は正当な防御活動とはいえないから、採用できない。

罪数

異なる機会に行われたか、器物損壊罪については被害法益が異なるから、併合罪の関係にある。

*1:客観的危険説を採る村井敏邦不能犯」芝原ほか編1990『刑法理論の現代的展開 総論』参照

*2:裁判員裁判における法律概念に関する諸問題(6)共犯(1)共謀共同正犯の成立要件(下)」判タ62(23)

*3:前掲の判タ62(23)は、正犯意思抜きの論証と正犯意思を要件とする論証の両方を用意している

*4:犯罪実現に不可欠でないとしても教唆犯だとまで主張する自信はなかった。もっとも、心理的因果性を安易に補填的に考慮することがないようにすべきである。金尚均2006「承継的共同正犯における因果性」立命館法学2006(6)(310)参照。よって、より具体的な事実関係に照らした検討が必要になる。

6.正当防衛、過剰防衛

Aの罪責

殺人罪、殺人未遂罪

Yに死亡の結果が生じたから、まず、Aの行為が殺人罪に該当するかが問題となる。しかし、Aが特殊警棒でYの頭部を強打した行為とYの死亡との因果関係は明らかでないから、殺人罪に該当しない。そこで殺人未遂罪が成立するかが問題となり、殺人の故意が認められるかが争点となる。頭部は身体の枢要部であって、そこをめがけて強打したことは、人を死なせる危険性が高く、殺人の故意を推認させる*1。しかし、強打といってもどの程度の強さであったかは不明であり、殺人の故意には合理的な疑いがある。この点を別にしても、鉄アレイで襲ってくるYから身を守ろうと必死で冷静ではなかったAが、Yが死んでしまうと分かって頭部を殴打したかは疑わしいから、殺人の故意には合理的な疑いがある。よって、殺人未遂罪は成立しない。

傷害罪、傷害致死

次に傷害罪の成立が問題となる。Aの特殊警棒による殴打により傷害の結果が生じたことは傷害罪の構成要件に該当する。また、AはBに「何とかしてくれ」と呼びかけることで、Yに有形力を加える旨の意思を連絡し、AはBに暴行を呼びかけ、かつ、YのベルトをつかんでBが暴行できるようにする重大な寄与をし、Bが1回目の体当たりをした暴行によりYに傷害の結果が生じている。よって、Bが実行した体当たりによる傷害罪の共同正犯の成立も問題となる。

さらに、特殊警棒による殴打には刑法207条が適用され、因果関係の挙証責任が転換されるから、傷害致死罪に該当する。刑法207条を傷害致死罪に適用することは罪刑法定主義に違反するとの批判もあるが、傷害罪と傷害致死罪が立証困難の点で異ならないだけでなく、傷害致死罪の規定より刑法207条が後に置かれていることから、適用を肯定すべきである。

正当防衛(36条)につき問題となる要件は、急迫不正の侵害、やむを得ずにした行為、防衛の意思である。

YがAに殴り掛かった不正の侵害は急迫性の要件を満たすか。AはYが本当に事務所に来るかもしれないと思い侵害を予期していたが、不正の侵害に対して自己の生命・身体を保全することは自然的権利の行使*2であり単に侵害を予期していただけでは否定されない。侵害を予期した以上は侵害回避義務が生じる場合があるとする見解によっても、Aがいたのは自分の職場であってその場に滞留する正当な利益が認められるし、侵害の予期は漠然としたものに過ぎず警察の保護を要請すべきであったともいえない。本件のAは侵害回避義務を負わない。よって、急迫不正の侵害の要件を満たす。

特殊警棒で頭部を強打した行為と、共同正犯者Bによる一回目の体当たり行為はやむを得ずにした行為の要件を満たすか。正当防衛は自然的権利の行使であって、Aに不正な侵害からの退避義務を課すことはできない。よって、反撃行為が防衛手段として相当であれば、反撃行為により生じた傷害の結果が不正に侵害されようとした法益に比べて不均衡であっても、相当性は否定されない。Y、A、Bの年齢、体格は同程度であって、Yの不正な侵害が鉄アレイによる殴打だったことから、攻撃者による侵害行為と防衛者による防衛行為の態様を実質的に衡量する武器対等の原則によっても、防衛手段として相当性がある。よって、やむを得ずにした行為の要件を満たす。なお、Yを事務所内に入れたのは、近所迷惑にならないようにであって、この機会を利用してAがYに積極的に加害する意思を有していたとは認められない。よって、自招侵害では防衛者の法益の要保護性が減少し「やむを得ずにした行為」が認められにくくなるとする説*3によっても、「やむを得ずにした行為」の要件を満たす。

防衛の意思が必要かについては議論があるが、本件では防衛の意思がないとは認められない。

よって、Aの傷害罪は成立しない。

なお、Bによる2回目の体当たりは、Aが認識していないから、故意がなく、Aは責任を負わない。

Aは無罪である。

 

Bの罪責

傷害致死

Aと共同してYに暴行を加える意思を通じたうえで実行した、Bによる2回の体当たり行為という暴行によりYが死亡する結果が生じたと認められれば、傷害致死罪の構成要件に該当し、共同正犯が成立する。しかし、Yの死因となった脳挫傷はAが特殊警棒で殴打したことによるものかもしれないから、Yの死亡についてBが責任を負うかが問題となるが、刑法207条により因果関係の挙証責任が転換される。

そこで、正当防衛が成立しないかが問題となる。

急迫不正の侵害の要件を満たすか。1回目の体当たりの時点では、AとYは取っ組み合いをしているから不正の侵害が現在している。2回目の体当たりの時点では、Yは立ち直そうとするところで、Bに攻撃を加える意思をなお有していたことが否定できないから、侵害が継続していたことを否定できない。

やむを得ずにした行為の要件を満たすか。2回の体当たりは、同一の機会に同一の法益に向けられたものだから、一個の行為として評価される。BとYは年齢、体格が同程度だから、武器対等の原則によれば体当たりはそれが2回行われたとしても防衛行為として相当である。これに対して、緊急避難よりも緩やかではあるが法益権衡が要求され、窓からYを突き落とす体当たり行為は、36条2項の「防衛の程度を超えた」(過剰防衛)に当たるとする反論が考えられる。

防衛の意思の要件も満たす。

よって、正当防衛が成立し、Bは無罪である。

なお、仮に過剰防衛に当たるとして、過剰性についての故意が認められるか。Bは2回目の体当たりをするとき、窓はブラインドが下がっていて、Yが転落する危険性のある行為であることを認識していなかった。よって過剰防衛の故意がないから、結局、Bは無罪である。

*1:間接事実による主要事実の認定は、ほとんどの場合、検察側のストーリーを土台に作られるから、弁護側がこの枠組みに乗ることは危険であると指摘し、事件の個性を無視していると批判するものとして、高野隆ほか『刑事法廷弁護技術』

*2:「座談会 正当防衛の成否は何で決まるのか」刑事弁護(96)高野隆発言参照

*3:佐伯千仭1984『刑法講義総論 4訂版』p.203。仮に積極的加害意思が認められてしまっても、過剰防衛を主張できる点で被告人に有利な解釈

1.不真正不作為犯、不作為犯と共犯

Aの罪責

Vに死の結果が生じているから、Aに殺人罪が成立するかが問題となる。

Vが転倒してから午後6時30分までに119番通報をしなかった不作為が殺人罪の実行行為に当たるか*1殺人罪の実行行為というには、刑法上の作為義務に違反したことと作為が容易だったことが必要である。119番通報は容易にできるから、刑法上の作為義務がどのような場合に認められるか、本件の場合に認められるかが問題となる。作為義務が認められるには、AがVの死亡までの因果経過を支配していることが必要である。加えて、殺人罪の作為と同価値性がある不作為でなければならないから、Aが保護を引受けたと認められる必要があると解される。

Vは許可なく立ち入ることが禁じられた特別室にいて、BはVのことを知っているものの、Aの指導的な立場に照らすと無断で救命措置を採る可能性は低い。よって、Vには生命に対する危険の排他的支配が認められる。また、AはVを道場に呼び寄せる先行行為により危険を生じさせており、保護の引受けが認められる。

なお、死の結果発生に対する強い積極的態度によりはじめて、作為による殺人と同視し得る強度の違法性が認められるとする見解*2がある。不真正不作為犯が成立するか否かは、不作為であっても「殺した」といえるかの問題であって、特別の主観的要素を要求すべき根拠はない。また、この見解によっても、死の結果を確実なものとしてAが実行行為のときに認識していた本件では、やはり殺人の作為と同視し得る。

AはVが死んでも構わないと思い実行行為に及んだから、殺人の故意が認められる。

Aには殺人罪が成立する。

 

Bの罪責

殺人罪の実行行為又は保護責任者遺棄致死罪の「保護する責任のある者」の身分が認められるには、Bが119番通報をする刑法上の義務を負っていた必要がある。しかし、Vの保護を引受けたと評価できる先行行為をBは行っていないから、刑法上の義務を負っていない。

Aによる殺人罪の幇助犯は成立するか。Bは、脳卒中による死の危険がVに生じたことをCに対して嘘で隠す作為*3によって、Vに生じた死の危険のAによる排他的支配を確実にし、結果発生を容易にしたと認められる。また、CがVの病状を知れば119番通報するかもしれないと思いつつ、それでも嘘をつく作為に及んでいるから、故意が認められる。よって、殺人罪の幇助犯が成立する。

*1:遅くともVが転倒した時点で救命措置を採るべきことを認識したと認められるから、この時点で実行の着手が認められるべき。転倒前からAに殺人の故意があったかについては合理的な疑いがある

*2:藤木、改正刑法草案12条も参照

*3:もし、不作為による幇助犯の問題であれば、作為があれば犯罪実現が困難になったという程度の因果性があれば足りるとする説と正犯が負う刑法上の作為義務と同程度に容易な義務でなければならないとする説とが対立する。本庄武「不作為による共犯」刑事弁護(74)p165によれば確立した判例が無い。

第20章 検察官面前調書

1.Vは「国外にいる」から「公判準備若しくは公判期日において供述することができない」と直ちに認められる。よって、刑訴法321条1項2号により証拠として採用できる。

もっとも、憲法37条2項は検察側提出の供述証拠を吟味する権利を被告人に保障していると解する見解があり、憲法違反であれば証拠として採用できないため問題となる。Vは外国人で公判廷に出頭できないおそれがあると検察側は知りながら、担当検事がVを呼び出した際に弁護人を立ち会わせるなどの措置すら採らず、被告人による証拠吟味の機会を失わせたのだから、憲法37条2項の権利の侵害であって、証拠として採用できないと主張することが考えられる。

しかし、証人とは公判廷に出てきて口頭証拠を提供する者をいい、憲法37条2項にいう「証人」もこの意味と解される。そうすると、Vの公判廷外供述に憲法37条2項の適用はないから、本件検面調書を証拠として採用しても憲法に違反しない。

2.来日予定があれば、「公判準備若しくは公判期日において供述することができない」の要件に当たらないから、証拠として採用できない。

3.検察官には国外退去の時期を遅らせる法令上の権限がない以上、検察官が国外退去処分を利用して被告人による憲法37条2項の権利の行使を妨げた等の事情がない限り、証拠として採用できる。

4.刑訴法321条1項柱書は、署名又は押印を録取の正確性を推定するための法定条件として定めているから、他の証拠により録取の正確性を認定することはできない。よって、証拠として採用できない。

5.犯行時のことを忘れたことを理由に証言がされなかったから、供述不能に当たる。

但書きにより「前の供述を信用すべき特別の情況の存するとき」であることも要件となる。そこで、傍聴席の雰囲気に畏怖して証言できなくなった可能性があることや、Wは忘れたと述べているので犯行時により近接した時点に録取された検面調書のほうが記憶が新しく信用すべきことを指摘する。

6.確かに、証人が記憶喪失の場合に供述不能要件に該当することを認めた判例(最決S29.7.29)はあるが、条文上例示された事由と同程度に、実質的に供述獲得が不可能な場合に限られると解釈すべきである。そう解さなければ、証人審問権を保障した憲法37条2項にも適合しない。

単に部分的に記憶が曖昧になったにとどまる本件のような場合には、供述不能とは認められない。

7.供述不能とは認められないから、調書(iii)の証拠採用を留保したうえでWが再度証人として証言したときに、仮に忘れたと述べたならば、証拠として採用できるかが問題となる。証言の際には、刑訴規則202条により裁判長が傍聴人を退廷させる等の措置を採るべきである。

仮に忘れたと述べた場合、調書(iii)を採用すれば異なる事実認定に至る可能性があり、前の供述と相反する供述若しくは実質的に異なる供述には当たるが、傍聴人を退廷させる措置を採ったにも関わらず忘れたの述べた場合には、相対的特信情況に当たるとは認められない。たとえ相対的特信情当たるとしても、証拠として採用することは証人審問権の侵害となる。