予備試験とか

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H17司法試験 憲法 第1問

1.本件規制は憲法22条1項が保障する職業選択の自由を制約する。

免許の要件が、例えば研修の受講のような本人の意思や能力次第で充足し得る要件だった場合、免許制を採ることは憲法22条1項に違反しないか。また、酩酊者に酒類をさらに提供することを免許の取消事由として定めることは憲法22条1項に違反しないか。

職業は、自己の生計を維持する手段であるから、許可制を採用するに当たっては、既存の営業者が直ちに廃業に追い込まれることのないよう配慮すべきである。酒類の摂取による迷惑行為の抽象的危険や飲酒の健康被害のような立法事実が認められ、その防止と免許制を採るという手段には合理的関連性があるから憲法22条1項に違反しないが、経過措置規定を設けるなどの配慮が必要である。

酩酊者にさらに酒類を提供することを規制することは、立法事実は認められるが、仮に「取り消さなければならない」という規定ぶりならば、軽微な違反事例でも常に免許が撤回され、違反者は生計の途を奪われることとなるから、憲法22条1項に違反し無効である。「できる」規定や営業中止命令を設けるなど、より制限的でない手段によるべきである。

免許の要件が場所や店舗数の制限だった場合、本人の意思や能力では充足できない客観的な要件であるといえる。職業は各人が自己の個性を全うすべき場として、個人の人格的価値と不可分であって、客観的な要件による許可制はこのような人格的価値の実現を阻害するから、より厳格な基準により審査すべきである。酒類の摂取によって迷惑行為の抽象的な危険が生じることや、重大な健康障害の原因となることは明らかであって、規制の目的は重要である。また、酩酊者がさらに酒類を摂取することを防止することは、酒類の致酩性・依存性も相まって飲酒をする者の意思では困難だから、規制の客体を酒類提供者とすることや、入手経路を限定することは必要かつ合理的な手段である。よって、憲法22条1項に違反しない。

 

2.飲酒をする自由は憲法13条により保障されるかが、まず問題となる。酒類は致酩性を有し、飲酒は迷惑行為や、極端な場合には暴行その他の犯罪行為を誘発するから幸福追求権として保護するに値しない(賭博罪に関する刑集4巻11号2380頁参照)という見解が考えられる。しかし、飲酒は伝統的に容認されてきた行為であって、文化を享有することを妨げられない自由あるいは文化を選択する自由は、個人の人格的生存に不可欠な行為をなす自由の一つとして憲法13条により保障されるというべきである。飲酒の自由の制約は、文化の享有という憲法じしんが25条1項で掲げる重要な利益に関わるから、その目的が重要で、必要かつ合理的な手段によるのでなければ許されない。

本件規制の目的は複数あるが、迷惑行為の防止は、迷惑行為の中には暴行や器物損壊のような刑法上の犯罪に当たる行為も想定されることから重要といえる。

また、本人の健康の保護も重要な目的といえるが、これに対しては、憲法13条は私事に関する自己決定権を保障したものであって、本人の意思に反して健康を保護することは憲法上は重要な目的とは認められないとか、「公共の福祉」に含まれないとの反論が考えられる。しかし、本人の健康は公的医療保険の財政にも影響を与えるなど、全くの私事とはいえないから、やはり重要な目的といえる。

本件規制の手段は、禁止場所を道路、公園、駅その他の公共の場所に限定している点で、迷惑行為の防止のために必要かつ合理的であり、私的な空間における行為の自由にも配慮している。また、罰則は拘留又は科料であって、犯罪の中でも最も緩やかである。

しかし、迷惑行為の防止という目的からは、ハロウィンやオリンピックのようなイベント開催時の、特に人が集まりやすい場所に禁止の日時及び場所を限定すれば足り、あとは警察官による警職法上の権限行使などのより制限的でない手段によるべきであり、健康保護という目的からは、飲酒が禁止される場所が限定され過ぎていて、酒税の税率を引き上げるなどの手段と比べて実効性に欠けるし、行為者本人の健康を保護法益として刑罰を科すことは正当化できない。よって、憲法13条に違反する。

違反者に拘留又は科料を科すことは、軽犯罪法などとの罪刑均衡の要請に反し、憲法14条に違反しないかが問題となる(罪刑均衡に反して刑罰を科すことが平等権を侵害することについて、尊属殺重罰規定違憲判決参照)。確かに、迷惑行為として、軽犯罪法迷惑防止条例に違反する行為やそれに至らない迷惑行為のみが想定されていれば、迷惑行為の抽象的危険を惹起するに過ぎない飲酒行為に刑罰を科すことは、等しくない者は等しくなく取り扱うことを要求する憲法14者に違反し、過料などの手段を検討すべきこととなる。しかし、飲酒行為が刑法上の犯罪を惹起する場合もあることはよく知られているから、憲法14条に違反しない。

 

参考

WHO「アルコールの有害な使用を低減するための世界戦略」http://alhonet.jp/who.html

渋谷駅周辺地域の安全で安心な環境の確保に関する条例

鎌倉市海水浴場のマナーの向上に関する条例

R1予備試験 憲法

B教徒に対して代替措置を講じた場合、憲法20条3項が定める政教分離原則に違反するか。代替措置を講じることが、B教を援助・助長・促進し、宗教とのかかわりあいをもたらし、憲法20条3項違反に当たるとまでいえるかは、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的をふまえて判断すべきである。代替措置を講じたとしてもB教徒の信教の自由(憲法20条1項)に対する配慮であって、援助・助長・促進には当たらないから、憲法20条3項に違反しない。

 

代替措置を講じなかったことは信教の自由との関係でどのような問題があるか。Xが水泳受講を拒否した理由は、B教の戒律に従うためである。Xが水泳受講を拒否する行為は、内心における信仰そのものではないが、信仰の核心部分と密接に関連する真摯な行為であるから、憲法20条1項により信教の自由として保障される。

確かに、法規命令である学習指導要領で水泳が必修とされたからといって、教員が水泳を教える義務を負うことはあっても、Xら生徒が意に反して水泳の授業に参加することを義務付けられるわけではない。しかし、成績評価上の不利益を避けようとすれば、水泳の受講という自己の信仰上の教義に反する行動をとることとなる。成績評価が下がると、単に学校内部で用いられるだけでなく、内申書に記載されて外部に開示され、高校受験の合否判定の資料とされることでXに重大な社会生活上の不利益が生じ、水泳授業に参加することを強制するに等しい効果をもつ。実際に、水泳授業に参加するB教徒の女子生徒がいたことは、強制に等しい効果があったことを推認させる。よって、乙中学校教員らが水泳の代わりとなる実技の授業を実施し参加させるなどの代替措置を講じず、成績評価においても考慮をしなかったことは、信教の自由の侵害であって、憲法20条1項に反し違憲である。

これに対して、学習指導要領じたいは信教の自由を直接に制約するものではなく有効であり、教員らは法規命令である学習指導要領に従う義務があり、個別事情を考慮して学習指導要領から離脱した取扱いをする裁量はないから、代替措置を講じなかったとしても違憲違法ではないとする反論が考えられる。

仮にそうだとしても、教員らには成績評価の裁量がある。そこで、Xに対し保健体育の評定を「2」としたことが裁量権の逸脱濫用に当たらないかが問題となる。Xの不利益の重大性に応じて、学校運営にとって過度の負担とならず、学習指導要領が定める保健体育科の目標及び公教育が集団教育としてあげるべき成果と均衡を失しない範囲で、教員らはXの信教の自由に配慮すべきである。

レポート提出等による水泳の授業参加を認めると、成績評価に困難が生じる面はあるが、学校運営に支障が生じるほどではない。

確かに、レポート提出等による水泳の授業参加では、保健体育科の目標を実技に参加するのと同程度に到達することはできない。また、小規模校であり、かつB教徒が多い乙中学校において、レポート提出等による水泳の授業参加を認めると、あまりに少人数での水泳の実技となって、集団教育のもつ教育効果が大きく阻害される。 しかし、強制に等しい効果をもつ程度の重大な不利益を正当化するほど高度な必要性があるとは認められない。よって、水泳の授業不参加を理由にXに対し保健体育の評定を「2」としたことは、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当性を欠き、違法である。

 

コメント

http://studyweb5.seesaa.net/article/468066798.html?amp=1&__twitter_impression=true

この人の方が、最決H31.1.23(性同一性障害特例法合憲決定)鬼丸かおる・三浦守補足意見や、最判H23.5.30(君が代起立斉唱拒否事件最判)須藤正彦補足意見をうまく援用していて、よく書けてるかんじがする。

 

R1 予備試験行政法 設問2

A県屋外広告物条例は、屋外広告物法による委任条例であって、一般に再委任は細目的な事項についてのみ許される。再委任を行うとしても、条例上、不確定概念で要件を定めた場合に、規則によって当該不確定概念の解釈を明確にする程度の細目的な事項の委任にとどめるべきである。条例6条1項及び9条は、規則を定める際の目的も基準も何ら示しておらず、解釈によっても屋外広告物法及び屋外広告物条例の目的規定並びに条例2条に合致すべきという黙示の目的以外読み取れないから、屋外広告物法の委任に反し違法無効である。

 

A県は反論として、「すべての条例は、法律の委任ではなく、憲法94条により授権された自主立法権に基づき制定される規範であって、法律により特別に制約を受けることがあるに過ぎない。条例の委任をうけた規則の適法性は、法律の委任をうけた政省令その他の命令の適法性と同じ基準により判断すべきである。」「再委任に当たるとしても、その適法性はあくまで屋外広告物法の委任規定の趣旨によって判断すべきであり、再委任の限界が細目的な事項にのみ限定される理由はない。」と主張することが考えられる。

そこで、規則への委任が屋外広告物法の趣旨に反しないかが問題となる。屋外広告物法や屋外広告物条例の規制は、憲法21条が保障する表現の自由を制約するがそれにも関わらず厳格審査基準によって違憲とされないのは、表現の内容に賛同できないことを理由とする規制だけでなく、表現行為による弊害を理由とする規制までほとんど機械的に杓子定規に違憲無効とすれば、議会の権限が狭められて、かえって、表現の自由がもつ自己統治の価値を薄めるからである。条例から規則への委任は自己統治の価値を薄める。法律が明文では規則への委任を認めていない以上、条例6条1項及び9条は、規制目的と表現の自由の調和を図る屋外広告物法の趣旨に反し違法無効である。

 

仮に条例は適法だとしても、屋外広告物規則により表現の自由を制約するには、民主的正統性がより高い条例において、委任の趣旨が明確に読み取れることを要する。場所的な規制は条例6条1項1号から5号に定められているから、条例9条の委任は色彩や大きさ、高さなどの場所以外の要件であって、規則別表第5第二号ハは違法無効である。

これに対して、一定の場所における広告物の表示をすべて禁止するのではなく、建物等から独立させるという方法による広告物の表示を規制するに過ぎないから「基準」という用語による委任の範囲内だとする反論が考えられる。しかし、色彩や大きさ、高さの規制と比べて一定の種類の屋外広告物を禁止する規制は表現の自由を制約する程度が強いから、明示の委任によらなければ許されない。

仮に、本件規制が「基準」という文言じたいの可能な意味の範囲内だとしても、鉄道からの距離に着目しながら、鉄道から展望できるか否かを区別しない点で、景観を保護するために必要な限度で規則に基準の定めを委任した条例6条1項及び9条の委任の範囲を超え、規則別表第5第二号ハは違法無効である。

 

場所に着目した基準を明示の委任によらず規則で定める例

奈良市規則:許可の基準(条例11条の委任)について、広告塔及び広告板等は、自家広告物等を除き、「鉄道又は道路敷及びこれらから展望できる範囲で当該鉄道又は道路敷から100メートル以上の場所に設置し、かつ、広告物相互の間隔は、100メートル以上であること」と定める(別表2第2号広告塔及び広告板又はこれらを掲出する物件1号)。

埼玉県規則:許可の基準(条例6条2項の委任)及び自家広告物等であるがその表示又は掲出を許可制によるべきとされたものの許可基準(条例10条1項の委任)として、新幹線鉄道の方を向いた壁面利用広告の表示を禁止する(別表1第1号)

金沢市規則:禁止地域の規制の適用除外の基準(条例12条2項1号の委任)について、同じ禁止地域でも種別を設け、自家広告物につき異なる基準によって規制する(別表3)。屋外広告物等の規格(条例15条の委任)について、同じ禁止地域でも種別を設け、異なる規格によらなければならない(別表4第3号)。

神奈川県規則:許可地域の基準(7条の委任)について、規則で自然系・住居系・工業系・沿道系・商業系という独自の概念を設けて許可地域を細分化し、地域によって異なる高さや大きさの基準を設ける(規則別表2)。

 

コメント

奈良市規則のような規定ぶりによる距離制限は違法という立場です。

ふつうに権利の重要性や規制の強度を理由に、「授権の趣旨が明確に読み取れることを要する(ケンコーコム事件最判)」と論じるべきだったのかもしれませんが、それは職業の自由や、立法例も参照しても独禁法の課徴金納付命令の要件規定のような財産権の事例で、表現の自由までなんの理屈もなく射程を拡げるのはやや躊躇がありました。規制の強度が足りないと反論されそうだし、Active Libertyを読んでいる途中なので、かぶれているので。

都道府県は憲法上の地方公共団体か否かに議論があるうえ、憲法94条にいう「条例」は長の定める規則を含むとする見解が多数説なので、憲法94条を援用しない方がよかったかも。

再委任のところは、ワークブック法制執務説と塩野説です。

R1司法試験 憲法

法6条及び25条

法6条は「公共の利害に関する」という不確定概念を用い、25条により犯罪の構成要件の一部となっているところ、その意味が漠然としていて、犯罪となるべき行為が明確に告知されることを要求する憲法31条に違反するのではないか、表現活動に萎縮効果が生じ憲法21条1項に違反するのではないかが問題となる。しかし、刑法230条の2第1項にも同じ文言が用いられており、これと同じ意味と解されるから、漠然としているとは認められない。

法6条及び25条は、政治的言論をも規制するところ、政治的言論は自己実現の価値のみならず、自己統治の価値を有し、やむにやまれぬ公共の利益のためでなければ規制されない。しかし、法1条は「社会的混乱が生じることを防止」というだけである。「社会的混乱」のなかにはやむにやまれぬ公共の利益と認められるものも含まれるとしても、そうでないものもあり、規制の範囲が必要最小限に絞られていないから、憲法21条1項に違反する疑いがある。しかし、真実の摘示が国民の知る権利・利益に奉仕し優越的利益が認められる、自己統治の価値を有する表現であるのに対し、虚偽表現は、人の判断を誤らせる有害な表現*1であって、憲法21条1項の保障の範囲外にあると解すべきだから、憲法21条1項に違反しない。思想の自由市場論も、思想と事実の真偽の情報との区別を前提にすると、この法律のような虚偽表現の規制には妥当しない。

法25条は、故意犯を処罰する規定と解されるが、それでも、「虚偽」であることについて未必的認識を有していたに過ぎない行為者も処罰範囲に含まれるため、刑事罰が重大な不利益をもたらすこともあいまって、虚偽でない表現活動に萎縮効果が生じ、憲法21条1項に違反するのではないかが問題となる。しかし、法があえて「知りながら」という文言を用いたのは、単に特別刑法上の犯罪について故意犯処罰を明文で定めるためではなく、「虚偽」であることについて未必的認識では足りず、確定的認識を要求するもの*2と解される。また、そのように解さなければ、憲法21条1項に適合する余地がない。

 

法9条並びに26条及び27条によるSNS事業者の規制

SNS事業者が自らの一貫した方針に基づいて、タイムラインをデザインし表示させたり、ユーザの表現を規制するかしないか判断することは、憲法21条1項により表現の自由として保障されている(Google検索結果削除仮処分事件最決参照)。

法9条1項2号の「選挙の公正が著しく害されることが明白である」という不確定概念が漠然としていて憲法31条及び憲法21条1項に違反しないかが問題となる。命令に違反してはじめて行為者は処罰の対象となるから、処罰範囲は明確であって憲法31条に違反しないという反論が考えられるが、憲法21条1項により明確性の要請がより強いことから、それだけでは足りない。「著しく」という用語は規制の必要性が高い表現に規制の範囲を絞るだけで、明確性を高めるとはいえない。「明白」という限定によっても、なにが「公正」を害するかは価値判断を要し、法令上なんら例示がないから、通常人の判断では具体的場合に自らの行為が義務付けられているか否かが読み取れない。よって、罰則を定める法26条及び27条の部分は漠然性を理由に憲法31条及び憲法21条1項に違反する。

法9条は選挙の公正を目的とし、2項は削除命令の政治的中立性を確保し、真に選挙の公正を促進するために、独立行政委員会を処分庁としている。たしかに、選挙の公正は重要な目的であると認められるが、9条1項が表現の手段ではなく内容に着目した規制をしているため、規制にはやむにやまれぬ公共の利益が必要ではないか、憲法21条1項に違反しないかが問題となる。しかし、虚偽表現は憲法21条1項の保障の範囲外と解すべきである。

情報は自由な流通に委ねられるべきであって、虚偽表現も表現の自由として保障されるとしても、選挙運動は法定のルールを守ることで公正に行われ、そのための合理的なルールが設けられることが予定されている(伊藤正己)から、表現の自由一般とは区別されるべきである。この法律は、処分の要件に「著しく」「明白」という限定があり、罰則があるものの法26条及び27条は間接罰方式を採り、より制限的でない手段が採られているといえる。選挙の公正を達成するために必要かつ合理的な手段であると認められるから、この学説によるならば、憲法21条1項に違反しない。

もっとも、SNS事業者のような表現の媒介者は知る権利・利益に奉仕していることから、SNS事業者に対する規制が自主検閲を促進するおそれも踏まえて、ユーザの知る権利に配慮して、より制限的な手段がとられているといえるかを検討すべきという反論が考えられる。この見解によれば、自主検閲の促進を防ぐ措置がなんら定められていないどころか、法13条によりむしろ自主検閲が促進されていることから、憲法21条1項に違反する疑いがある。

 

法20条

9条2項の命令の前に、被処分者となるSNS事業者に告知・弁明・防御の機会が与えられていないことが、憲法31条の法意に反しないかが問題となる。行政手続は行政目的に応じて多種多様であり、常に必ず弁明等の機会を与えることを必要としない(成田新法事件最判参照)と解される。選挙運動の期間及び選挙当日を過ぎると、選挙の公正という目的を達成できず、また要件を具備しないため処分じたいができない点で緊急性がある。そもそも、法20条は制裁目的の処分でも、人身の自由を制限したり財産権を剥奪する処分でもないから、憲法31条を準用する基礎を欠く。よって、憲法31条に違反しない。

もっとも、憲法13条によれば国は個人の権利を最大限尊重しなければならず、判断の基礎に事実誤認がある処分や萎縮効果により制約されるおそれがある表現の自由の重要性を考慮すると事後的な司法的統制だけでは不十分である。そこで、事前に告知・弁明・防御の機会の保障を欠くことが憲法13条に違反しないかが問題となる。しかし、処分の緊急性があり、独立行政委員会を処分庁とすることで一定程度は手続の公正が図られていることから、表現の自由の重要性を考慮して総合衡量しても、憲法13条に違反しない。

 

 

感想

よく分からない。時間内にかける人すごい。公職選挙法235条2項の「事実をゆがめて」と「選挙の公正を著しく害することが明白」とで明確性はあまり変わらないような気がしないでもない。false speechについてはUnited States v. Alvarez, 567 U.S. 709 (2012)があり、伊藤たける先生の話をあわせて聴いて、萎縮効果を広く認めるだけでなく、言論市場の歪曲効果を重視すれば違憲の結論を導きやすいという気づきがあった。成原(2012)「代理人を介した表現規制とその変容」を読んで、知る権利のところの記述を直した。

*1:山口厚『刑法各論 第2版』p.146同旨

*2:著作権法119条3項にいう「知りながら」について、小倉秀夫ほか2013『著作権法コンメンタール』1695頁同旨

5.過失犯、因果関係

Bの行為

Vが死亡する結果が生じており、Bに過失が認められるならば、それが自動車運転上のものであることは明らかである。そこで、Bに「必要な注意を怠」ったこと、すなわち過失が認められ、死亡との因果関係も認められて、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律5条本文の罪のうち、特に人を死亡させたことを理由に有罪となるかが問題となる。

過失とは、予見可能性を前提として、危険を認識していなかった場合には危険を予見すべき義務に違反して、結果回避義務に違反したことをいう。

Vが死亡する結果を回避するために採りうる措置には、1過積載のため制動距離が長くなっていることにも留意して、通常以上に前方を注視して適切な速度で進行すること、2眠気を感じた時点で非常駐車帯(道路交通法75条の8第1項2号)で運転を中止すること、3過積載での運転をやめること、4運転じたいをしないことが考えられる。

4については、誰でも自動車を運転すれば当然に人を死亡させる危険が生じ、それを予見できるといえそうだが、過度な結果回避義務を課すことは、社会的有用行為の制限となり妥当ではない。過失の前提となる予見すべき危険とは、単なる不安感ではなく具体的な状況における危険であり、運転行為じたいは過失に当たらない。

3については、10トントラックに15トンの荷物を積んだという本件事情の下で制動距離が長くなることをBは認識しているし、どの程度制動距離が長くなるかも予見すべき義務があるが、本件事情の下での運転行為から直ちに具体的な状況における人の死の結果を予見できたとは認められない。

2については、3時間程度の睡眠しかとっていない日が一週間続き、実際に眠気を感じたこと、過積載という人を死亡させる危険が高い状態であったことも考えると、非常駐車帯で停車し運転を中止すべき義務があったと認められる。

1については、一般人を基準とすると前方注視義務違反が認められるから、あとは期待可能性その他の責任が認められるか否かの問題のようにも思える。しかし、予見義務が課される根拠は、行為者に法益尊重意識が欠落していたことを理由に予見可能性を否定することが不当なためであり(能力区別説)、生理的な能力*1については、一般人ではなく行為者であるBを基準にせざるをえない。眠気を感じているBにとって、前方注視は履行不能だから、予見可能性がなく1の義務を負わない。

Bの過失とVの死亡に因果関係は認められるか。結果が行為に帰責されるのは、単に条件関係が認められるだけでは足りない。本件では、結果発生に至る経過に、Vがトランクに居たという特殊な事情が介在しているから、それでも因果関係が認められるかが問題となる。行為者にも被害者にも支配できない特殊な事情による結果を被害者に帰属させることは公平に反するから、因果関係が認められるとする見解(佐伯仁志)は、損害負担の公平を図る民事法的な発想であり、不当である(井田、小林憲太郎)。Vがトランクに居たことは、Bにとっても一般人にとっても予見可能性を欠くから、因果関係が認められない。仮に、行為の危険に対する影響力が大きければ、介在事情による影響力の遮断がない限り、行為の危険が現実化したものとして因果関係が認められるとする見解によっても、Vが前の車両のトランクに居たことは、無関係な者の監禁行為によるもので、Bが支配する危険でも運転行為に通常随伴する危険でもないから、因果関係が認められない。

よって、自動車運転処罰法5条本文の罪で有罪となっても、Vを死亡させたことを理由に有罪とはならない。

 

 

コメント

行為無価値論、新過失論で書きました。

過失は、1から4へ順番に検討すべきなのでしょうが、答案の練習のために無理筋な4から順番に検討しました。

因果関係のところは、木谷『刑事事実認定』の米山正明「因果関係の認定」を参考にしました。

*1:『挑戦する交通事件弁護』p.158本庄武発言

13.治療行為と傷害罪、文書偽造罪と名義人の承諾

傷害罪

 

文書偽造罪(刑法159条1項)

診断書は「事実の証明に関する文書」に当たるか。広く社会生活に交渉を有する文書をいうとする説と、文書偽造罪の保護法益はあくまで文書に対する公共の信用だから、社会生活における重要な事実について証拠となる文書に限るとする説とがある。診断書にされる事実の記載は保険金の請求に用いられるなど社会生活における重要な事実について証拠となる文書と認められるから、いずれの説によっても「事実証明に関する文書」に当たる。

「偽造」とは、名義人と作成者の人格の同一性を偽ることをいい、その前提として、文書は、名義人が判別できるものでなければならない。本件診断書の記載内容からは、医師Bが作成者であるように看取できるから、医師Bが名義人であり、名義人が判別可能であることの要件を満たす。

本件診断書を作成した行為は「偽造」に当たるか。誰が作成者かが問題となる。作成者の意義について、法的効果が帰属する者をいうとする説は、民事上の問題と有形偽造の処罰という刑法上のの問題とを混同するものであり、また、事実証明について法的帰属は問題となりえないから採用できない*1。作成者とは、文書に表示された意思観念が精神的に由来する者をいう(観念説、事実的意思説)*2。BはAによる診断書の作成を承諾しているから、Bの意思の範囲内であってBが作成者であり、作成者と名義人とが同一だから、「偽造」に当たらない*3

これに対して、文書の性質により名義人以外の者が作成することが許されない文書については、名義人の承諾は無意味であって作成者は自書した者であり、偽造に当たる場合があるとするのが判例である。文書の性質の意味が曖昧*4で、処罰範囲の明確性の観点から判例には問題がある。仮に判例の結論が妥当だとして検討しても、Aは2年間にわたりBの名前で診療に従事し、Bは医者としてのAの通称名として通用していたから、人格の同一性に偽りはなく「偽造」に当たらない。

なお、「行使の目的」とは事情を知らない利害関係者に文書の記載内容を認識させる目的をいい、行使の目的によって、文書が公共の信用を危殆化させるという違法性の実質を備えると解すべきである*5。通常の診断書作成であれば、患者に診断内容を伝えることが第一の目的であり「行使の目的」が認められない*6。しかし、本件では保険金詐欺を目的として診断書を作成したという事情があり、保険会社に診断書の記載内容を認識させる目的が認められ、「行使の目的」に当たる。よって、「偽造」の要件を満たせば文書偽造罪が成立した。

本件は「偽造」の要件を満たさないから、Aに文書偽造罪は成立しない。*7

 

詐欺罪

 

*1:山下幸夫「一事不再理私文書偽造」『ロースクール生のための刑事法総合演習』

*2:成瀬幸典「文書偽造の罪」『新・コンメンタール刑法』

*3:山下幸夫前掲

*4:松宮

*5:行使の相手方を利害関係者に限定する見解として井田など

*6:解説によれば、診断書が勤務先への提出に多く用いられているという社会的機能を知っていたことから「行使の目的」が認められてしまう

*7:処罰根拠を文書の記載内容が真実でも証拠又は証明手段として利用できなくなる危険とみる見解(証拠犯罪説)によって論証した場合に、どういう結論になるのかがよく分からなかった。属性を重視するとしても、属性は名義人を特定する参考に過ぎないし、資格に対する信用に重きを置くと医師法18条の名称使用の罪とは特別関係になりそう。

3.抽象的事実の錯誤、共謀共同正犯

Bの罪責(4,6)

Bは10月10日夜、殺意をもって、Xを狙い拳銃の引き金を引いたが、Xを死亡させなかった(4)。そこで、殺人未遂罪が成立するかが問題となる。

違法性の本質は結果無価値にあるから、殺人の実行の着手があったといえるかは、行為時に存在したすべての事実を基礎に行為の危険性を評価して判断される。

たとえば仮に、銃口はXを向いていたが、弾丸は常に同一の軌道を通るわけではない性質があるために命中しなかった場合であれば、殺人の実行の着手に当たる*1が、弾丸の火薬が不良だった本件行為ははじめから人を死亡させる危険性がなく、殺人の実行の着手に当たらないようにも思える。しかし、行為時に存在したすべての事実を基礎とした判断をより徹底すれば、未遂犯はすべて不能犯になってしまう。一般人の立場から判断して存在し得た仮定的事実を付け加えたうえで行為の危険性を評価すべきであり、火薬不良ではなかったためにXが死亡したということもあり得たのだから、結局、本件行為には人を死亡させる危険性があり、殺人の実行の着手に当たる。

よって、殺人未遂罪が成立する。

Bは10月15日夜、Xに殺意をもって、飼い犬と散歩中のXを狙い拳銃を2発発射し、Xと飼い犬を死亡させた(6)。2発の発射行為は1個の意思に基づく一連一体の行為であり、1つの行為といえる。

この行為により、Xに対する殺人罪のほかに、飼い犬を死亡させた結果について器物損壊罪が成立するか。器物損壊罪の故意が認められるかが問題となる。

故意犯が責任を負うのは規範の問題に直面したにもかかわらず敢えて行為したからであり、行為者の認識した犯罪事実と発生した犯罪事実が具体的に符合していなくても、構成要件において符合している限り規範の問題に直面したといえるから、故意を阻却しない。

殺人罪と器物損壊罪という別の犯罪であり、しかも構成要件は重ならないし、仮に実質的な構成要件の重なり合いを問題にしても、人の生命と財産では保護法益が異質であり、殺人の故意により器物損壊罪の故意を認めることはできない。

しかし、Xを狙っても、弾丸が飼い犬に当たることは当然に予測できるから、Bがよほど射撃に自信がある場合を除き、器物損壊罪の未必的な故意が認められ、器物損壊罪が成立する。

A及びCの罪責(4)

Cは、Bと本件拳銃発射の計画について意思の連絡があり、拳銃の購入を分担し、10日の夜もともに犯行現場に赴いた。よって、殺人未遂罪の共同正犯が成立する。

Aは、B及びCにXを殺すように言うことで、殺人の意思の連絡をした。また、AはB及びCの上司としてまた本件計画の発案者として、実行行為に決定的な心理的因果性を及ぼし、加えて、拳銃と弾丸の資金を準備することで、正犯としての処罰に値する*2重要な役割を果たした。Aは確かに実行行為を担当したわけではないが、発案者として、本件拳銃発射を自分たちの犯罪として実現しようとする意思を有していた*3。よって、殺人未遂罪の共謀共同正犯が成立する。

A及びCの罪責(6)

Bが10月15日、殺人罪の実行行為をする以前の13日に、Aが「今回はやめておこう」といい、Cもこれを受けて「そうであれば、私は降ります」といい15日には同行等もしていない。そこで、殺人罪の共同正犯として罪責を負うかが問題となる。

結果との因果関係が切断されたときには、責任を負わない。拳銃と弾丸はAの提供した資金により購入されたが、Aは拳銃を処分しろと指示するだけで、それ以上の措置はなく、Aの10月13日以前の行為による物理的効果が残存している。よって、共同正犯としての責任を負う。

Cがいたからこそ拳銃と弾丸が購入できたなどの事情があれば、物理的効果が残存しているから、Cも共同正犯としての責任を負う。

仮に、B自身でも容易に拳銃と弾丸を購入できた場合はどうか。CはBと具体的な拳銃発射の計画を立てて準備をすすめ、Bの犯行に及ぶ意思を強めたといえる。また、Bに対して説得をするなど結果防止のための措置をとっていない。拳銃と弾丸の購入という重大な物理的効果に加えて心理的効果も考慮すれば*4、Xが死亡した結果との因果関係は切断されていない。よって、共同正犯としての責任を負う。

D及びBの罪責(7)

他人の刑事事件に関する証拠である拳銃と余った弾薬を、海に投棄して隠滅したから、Dには証拠隠滅罪が成立する。(刑法104条)

Bには証拠隠滅罪の教唆犯が成立するか。刑法104条が犯人自身による証拠隠滅を処罰範囲から除いたのは、期待可能性がないからであり、教唆犯にもこの趣旨は及ぶから処罰されないと解すべきである。これに対して、他人を巻き込んで証拠を隠滅するのは防御の濫用であって、教唆犯が成立するとの解釈もある。しかし、犯人自身による行為であっても証拠隠滅は正当な防御活動とはいえないから、採用できない。

罪数

異なる機会に行われたか、器物損壊罪については被害法益が異なるから、併合罪の関係にある。

*1:客観的危険説を採る村井敏邦不能犯」芝原ほか編1990『刑法理論の現代的展開 総論』参照

*2:裁判員裁判における法律概念に関する諸問題(6)共犯(1)共謀共同正犯の成立要件(下)」判タ62(23)

*3:前掲の判タ62(23)は、正犯意思抜きの論証と正犯意思を要件とする論証の両方を用意している

*4:犯罪実現に不可欠でないとしても教唆犯だとまで主張する自信はなかった。もっとも、心理的因果性を安易に補填的に考慮することがないようにすべきである。金尚均2006「承継的共同正犯における因果性」立命館法学2006(6)(310)参照。よって、より具体的な事実関係に照らした検討が必要になる。